只今建立中の永代供養墓の現在の状況ですが、8割ぐらい完成してますが、後は10月中頃までに灯篭が置かれ、少し整備させていただき完成予定です。
開眼供養日は10月27日(日)に行う予定です。
開眼日頃にパンフレットも出来上がる予定です。
開眼後、申し込み、お問い合わせの受け付けを開始させていただく予定です。
詳細がわかる度にホームページでお知らせいたします。
2013年9月24日
只今建立中の永代供養墓の現在の状況ですが、8割ぐらい完成してますが、後は10月中頃までに灯篭が置かれ、少し整備させていただき完成予定です。
開眼供養日は10月27日(日)に行う予定です。
開眼日頃にパンフレットも出来上がる予定です。
開眼後、申し込み、お問い合わせの受け付けを開始させていただく予定です。
詳細がわかる度にホームページでお知らせいたします。
2013年9月16日
みなさん、ドラマ半沢直樹をご存じですか? 視聴率30%越えの人気ドラマです。私も好きで見ています。
悪をあばいていき、正義が勝つ、人に対して真心で接する。これって時代劇水戸黄門に似ていると思うのは私だけでしょうか?
これは時代が変わっても日本人の本当の心の中までは変わっていないと言えるのではないですか? 日本人の心の中にはまだまだ禅的思想がちゃんと残っているのです。正しいことをし、相手のことも考えながら、社会に貢献する。禅でいう利他行に通じると思います。
ドラマの中で半沢の父親がネジ工場をしていましたが、その中のセリフで「この小さいネジが日本を支えているんやで、直樹にもいずれこの意味がわかるときが来る」とありましたが、深い言葉でした。感動しました。まさに禅的生き方の象徴と言えると思います。
雲晴寺でもそうです。新本堂を建設させていただくのに、たくさんの人の手が加わり、寄付をしていただき、立派な伽藍が建っています。みなさんが汗水流して働いて、寄付をしていただいてるわけです。中には生活が苦しいながらも、お寺の為にと毎月少しずつご協力していただいた方もいらっしゃいます。ありがたいかぎりです。その方々の誰一人欠けても本堂は建たなかったわけです。そのみなさんの思いが入っている柱であり瓦であるわけです。だから建物に魂が入るわけです。本堂がありがたい場所になるわけです。歴史が何百年続くわけです。
日本の若い方に禅をもっと知ってもらいたいと強く思った今日この頃です。
幸導 合掌
2013年9月15日
こんばんは。明石はすごい雨が降っております。みなさんいかがおすごしでしょうか?
今日は玄関について少しお話をしたいと思います。先日、脚下照顧の話の中でもふれましたが、みなさん玄関はキレイにされていますか?靴は揃えていらっしゃいますか?
私はお坊さんとして様々なご家庭にお伺いし、仏間に上がらさせていただきますが、そこで気づくことがあります。その一つが、個人や家族が繁栄されているご家庭の方は、ほぼ間違いなく靴が揃えてありますし、玄関がキレイです。私の家はほとんどお客様が来られないから…とかそんな靴を揃えたぐらいで大げさなとか思われるかもしれません。しかし、人を招き入れる玄関、毎日使う玄関が汚れていたり、靴が並べれないということは、普段からそういう小さいことに気づけていないということです。人生はそういう小さいことの積み重ねだと思います。現実に玄関の汚い経営者の方もいらっしゃいます。しかし、何年もすると会社は傾いたりします。それは当然です。自分の足下をキレイにできない方が、到底お客様目線にたてるとは思えません。
禅寺に修行に上がると、ほんとうによく掃除をします。古参和尚(先輩和尚)の点検も実に厳しいです。でもそういう環境だからこそ精神を鍛えていけるわけですし、人々のちょっとした変化にも気づけるようになるのです。
もう一度玄関を見直してみましょう。幸福はず〜と先にあるように思えるかもしれませんが、実はご自分の足下にあるのかもしれませんね。
幸導 合掌
2013年9月9日
脚下照顧(きゃっかしょうこ)という禅語ですが、靴を揃えなさいとか、足下に気をつけなさいとかの意味もあります。
でも、もっと大切な意味は、私たちの人生は良いときもあれば、上手くいかないときもある。もうどうしようもなくなって一歩も進めなくなるときもある。気持ちでは先へ進みたいし、駆け抜けたい。しかし、ふと自分を見失って迷子になることもある。そういうときに、一度自分の足下をみてください。ということを伝える言葉です。
富士山に登ろうとするときどうだろう。一歩一歩ゆっくりと踏みしめて頂上を目指して進むしかないのではないだろうか? 高い山ほどゆっくりと時間をかけて登らなければならない。 人生は山登りに似ていると思う。しっかりした計画を立てつつ、登りだしたら、一歩一歩自分の足で登っていく。当たり前だが、自分の人生、他人が登ることはできない。
そういう私も今でこそ僧侶として生きることが私の使命であり天職だと思っていますが、学生時代は随分と人生や生き方に迷い苦しみました。しかし、お寺の息子として生まれ地域や社会の為に貢献することが、私の人生のつとめだと気づいたのです。でも決して回り道をしたとは思っていません。色々壁にぶち当たり経験してきたからこそ、今に活きていると思っています。
あわてなくていい、人と比べなくていいのです。ゆっくりとでもいい自分にしか歩めないこの人生、楽しくそして真剣に生きたいですね。
もし悩まれている方がいるならば、お寺の門をたたいてください。一緒に坐禅をしましょう。語り合いましょう。共に成長していきたいですね。
幸導 合掌
2013年9月7日
みなさんは禅と言えば、なにか難しい問答のことであるとか、厳しい修行をおこない、坐禅をする修行道場だけのものだと思われてませんか?
でも禅とは、決して窮屈な考えではないのです。もっと大きなものであり、単純なこと、つまり生きることを意味するのです。
いまこの瞬間を一生懸命生きる!!
みなさんはどうですか?自分がこの世からいなくなることを考えたことありますか?
きっとあなたやあなたの周りの大切な人によほどの難病や不幸があった方以外の人は、まだまだ自分は生きられると思っていませんか?
この世に絶対はないが、ただ一つ絶対があるとするなら、いまこの世で生きている我々のいのちは必ずいつか尽きる。それは明日かもしれないのです。
元々日本には古くから、別に意識しなくとも禅は身近なものであり、仏教徒でなくても日本人の心の習慣として受け継がれてきました。しかし、驚くほどの経済発展をとげた我々日本は物の裕福さを手に入れた現在、いつの間にかどこかに禅的考えである、ひたむきに生きることや相手に敬意をはらう大切な考えを置き去りにしてしまったのです。
考えてみれば、ひたむきに生きて、正しい考えの上に物をつくり頑張ってきたから、日本は経済大国にもなったわけです。しかし、そういう禅的考えを持ったリーダーが減ってしまっていることが、今現在も長く続く不景気な日本をうみだしている原因の一つではないでしょうか。
いまこうしてブログを書いている間もいのちは削られていっているのです。5分前には戻れない。。。
大切な方がいるなら、今のうちに気持ちを伝えましょう。やり残したことがあるなら今のうちにやりましょう。
せっかく生かされているこのいのち、生きたくても生きられなかった方々がたくさんいらっしゃるのです。
いま一度、いのちの大切さ考えたいものです。
幸導 合掌
2013年9月6日
はじめまして、雲晴寺副住職をしております五十川幸導(いそかわ こうどう)です。
この度、禅僧五十川幸導ブログ 禅の力を始めさせていただきます。
日々の生活で感じたことや、禅僧の立場から思う現代社会についてなど、私のブログを見て頂いた方が日々の生活に禅的考えを少しでも取り入れられ、充実した生活を送られ、より良い社会になるよう、お手伝いできるようなブログになればと思っております。
どうぞ末永くおつき合いのほど、よろしくお願い致します。
幸導 合掌