脚下照顧の力

2013年9月9日

脚下照顧(きゃっかしょうこ)という禅語ですが、靴を揃えなさいとか、足下に気をつけなさいとかの意味もあります。

でも、もっと大切な意味は、私たちの人生は良いときもあれば、上手くいかないときもある。もうどうしようもなくなって一歩も進めなくなるときもある。気持ちでは先へ進みたいし、駆け抜けたい。しかし、ふと自分を見失って迷子になることもある。そういうときに、一度自分の足下をみてください。ということを伝える言葉です。

富士山に登ろうとするときどうだろう。一歩一歩ゆっくりと踏みしめて頂上を目指して進むしかないのではないだろうか? 高い山ほどゆっくりと時間をかけて登らなければならない。 人生は山登りに似ていると思う。しっかりした計画を立てつつ、登りだしたら、一歩一歩自分の足で登っていく。当たり前だが、自分の人生、他人が登ることはできない。

そういう私も今でこそ僧侶として生きることが私の使命であり天職だと思っていますが、学生時代は随分と人生や生き方に迷い苦しみました。しかし、お寺の息子として生まれ地域や社会の為に貢献することが、私の人生のつとめだと気づいたのです。でも決して回り道をしたとは思っていません。色々壁にぶち当たり経験してきたからこそ、今に活きていると思っています。

あわてなくていい、人と比べなくていいのです。ゆっくりとでもいい自分にしか歩めないこの人生、楽しくそして真剣に生きたいですね。

もし悩まれている方がいるならば、お寺の門をたたいてください。一緒に坐禅をしましょう。語り合いましょう。共に成長していきたいですね。

幸導 合掌

 

禅とは生きること

2013年9月7日

みなさんは禅と言えば、なにか難しい問答のことであるとか、厳しい修行をおこない、坐禅をする修行道場だけのものだと思われてませんか?

でも禅とは、決して窮屈な考えではないのです。もっと大きなものであり、単純なこと、つまり生きることを意味するのです。

いまこの瞬間を一生懸命生きる!!

みなさんはどうですか?自分がこの世からいなくなることを考えたことありますか?

きっとあなたやあなたの周りの大切な人によほどの難病や不幸があった方以外の人は、まだまだ自分は生きられると思っていませんか?

この世に絶対はないが、ただ一つ絶対があるとするなら、いまこの世で生きている我々のいのちは必ずいつか尽きる。それは明日かもしれないのです。

元々日本には古くから、別に意識しなくとも禅は身近なものであり、仏教徒でなくても日本人の心の習慣として受け継がれてきました。しかし、驚くほどの経済発展をとげた我々日本は物の裕福さを手に入れた現在、いつの間にかどこかに禅的考えである、ひたむきに生きることや相手に敬意をはらう大切な考えを置き去りにしてしまったのです。

考えてみれば、ひたむきに生きて、正しい考えの上に物をつくり頑張ってきたから、日本は経済大国にもなったわけです。しかし、そういう禅的考えを持ったリーダーが減ってしまっていることが、今現在も長く続く不景気な日本をうみだしている原因の一つではないでしょうか。

いまこうしてブログを書いている間もいのちは削られていっているのです。5分前には戻れない。。。

大切な方がいるなら、今のうちに気持ちを伝えましょう。やり残したことがあるなら今のうちにやりましょう。

せっかく生かされているこのいのち、生きたくても生きられなかった方々がたくさんいらっしゃるのです。

いま一度、いのちの大切さ考えたいものです。

幸導 合掌

ブログを始めました

2013年9月6日

はじめまして、雲晴寺副住職をしております五十川幸導(いそかわ こうどう)です。

この度、禅僧五十川幸導ブログ 禅の力を始めさせていただきます。

日々の生活で感じたことや、禅僧の立場から思う現代社会についてなど、私のブログを見て頂いた方が日々の生活に禅的考えを少しでも取り入れられ、充実した生活を送られ、より良い社会になるよう、お手伝いできるようなブログになればと思っております。

どうぞ末永くおつき合いのほど、よろしくお願い致します。

幸導 合掌