坐禅中の心

2014年1月27日

昨日は坐禅会でした。坐禅が初めての方も9名来山されました。朝の寒い時間から皆様お疲れ様でした。

そこで、坐禅が初めての青年から坐禅中の心構えについて質問をうけました。

曺洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐るということです。坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿なのです。お釈迦さまが坐禅の修行に精進され、悟りを開かれたことに由来するものです。

そこで我々が坐禅をするときに大切なことは身体を調え、息を調え、心を調え、調和をはかります。どの分野の世界でも誰も最初から悟れません。形を覚え、工夫し、そして心が整ってきて、また新しい世界が見えてくる。その繰り返しだと思います。物事の真実の姿、あり方を見極めて、これに正しく対応していく心のはたらきを調えることが大切です。

まずやってみなければ何も始まらないし、何も見えてこないと思います。大人の勉強もそうではないでしょうか。いくら知識を詰め込んでも、それを行動に移さないと、世間は評価してくれません。インプットも大切ですが、アウトプットはもっと大切だと思います。

冬の寒い時期にもかかわらず、朝から自分の意思で坐りに来られる、それだけで仏様です。坐禅会に来られた青年はもうすぐ海外に行くそうです。大きく成長してほしいものです。鐘

 

 

1月の坐禅会は1月26日(日)朝7時からです。

新年初めての坐禅会です。多数の方のご参加をお待ちしております。

初めての方も、動きやすい格好で気楽にお越しください。

合掌

昨日の祈祷会で少しお話させていただいたこと。

今年も無事に新年を迎えられた感謝と今年も健康で暮らせますようにと願い、仏様とご先祖様にご挨拶に来られる新年の祈祷会、顔なじみの檀家さまとあと何回新年のご挨拶ができるだろう。。。春になると綺麗な桜が咲きます。みなさんは後何回見れるか、考えたことがありますか? お正月そうそう死についてのお話なんてと思われるかもしれませんが、死を意識するから、自分の体への感謝がわいてくるし、今やるべきことが見えてくるのだと思います。

例えば、今80歳の方が、90歳まで生きられたとしたら、365日×10年=3650日 後3650日。明日には3649日。。。

「無常迅速」むじょうじんそく、人の人生はあっという間ですよという意味です。人間も、花と同じように、この世に生を受けたら、誰もが亡くなります。必ず亡くなる命だからこそ、いま生きているのが、ありがたいのです。

祈祷会の後の住職のお話で、皆様方の本尊さまへの合掌礼拝が浅い、もっと深々と礼拝された方がいいですよ。とありましたが、これも、いつかは灰になる自分の体が、いま呼吸をして生きていること、いつかはこの命の火が消えることを意識しない限り、本気になって、美しい桜を見れることに感激はできないだろうし、今年も無事に迎えられたことに感謝し、ありがとうございますと、仏様や神様に礼拝できないのではないでしょうか。

お正月は仕事が休みで、比較的お時間のある方が多いと思います。少し静かな場所でリラックスしながら、自分の体に感謝しましょう。自分の体を生んでくれたご先祖に感謝しましょう。今年一年がんばれるパワーを充電。。。     幸導 合掌

 

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

「 春風致和 」

しゅんぷうちわとは、春風に乗って、和やかな空気が満ちてくること。

人々の心が温和で、世の中が穏やかで平和でありますように。

幸導 合掌

 

12月の坐禅会は12月29日(日)朝7時からです。

今年最後の坐禅会です。

みなさんは今年1年どのような年だったでしょうか?

1年を締めくくる意味でもあり、また来年から心機一転の意味もある大切な坐禅会だと思います。

来年から参加しようかなと思われている方も、ぜひ年末からご参加くださいませ。

私も日々反省いたしておりますが、明日に延ばして自分にプラスになることはあまりないと思います。思い立ったらすぐ動いてみましょう。

人生の極意は今の連続です。

合掌

半沢直樹と禅

2013年9月16日

みなさん、ドラマ半沢直樹をご存じですか? 視聴率30%越えの人気ドラマです。私も好きで見ています。

悪をあばいていき、正義が勝つ、人に対して真心で接する。これって時代劇水戸黄門に似ていると思うのは私だけでしょうか?

これは時代が変わっても日本人の本当の心の中までは変わっていないと言えるのではないですか? 日本人の心の中にはまだまだ禅的思想がちゃんと残っているのです。正しいことをし、相手のことも考えながら、社会に貢献する。禅でいう利他行に通じると思います。

ドラマの中で半沢の父親がネジ工場をしていましたが、その中のセリフで「この小さいネジが日本を支えているんやで、直樹にもいずれこの意味がわかるときが来る」とありましたが、深い言葉でした。感動しました。まさに禅的生き方の象徴と言えると思います。

雲晴寺でもそうです。新本堂を建設させていただくのに、たくさんの人の手が加わり、寄付をしていただき、立派な伽藍が建っています。みなさんが汗水流して働いて、寄付をしていただいてるわけです。中には生活が苦しいながらも、お寺の為にと毎月少しずつご協力していただいた方もいらっしゃいます。ありがたいかぎりです。その方々の誰一人欠けても本堂は建たなかったわけです。そのみなさんの思いが入っている柱であり瓦であるわけです。だから建物に魂が入るわけです。本堂がありがたい場所になるわけです。歴史が何百年続くわけです。

日本の若い方に禅をもっと知ってもらいたいと強く思った今日この頃です。

幸導 合掌